仙台から/その後
以下は「子ども支援塾ネットの掲示板への投稿文」(3/18までの分)からの転載です。
3月16日
さて、何から書きましょうか。
少々疲れ気味?です。(何もしていませんが妙に疲れます)
気の向くまま順不同で書きなぐります。
そうそう、巽(奥野)かおりさんが、阪神大地震のときの
知恵を授けてくださいました。
食材を入れる前に食器にサランラップをしきます。
洗う水が不要になります。早速活かしています。
一昨日から電気が通じ、近くのオール電化のマンション群
の方々はほっと一息というところです。ところが、今まで
ローソクやランタンを貸してあげていた私たち普通の民家側は、
ガスが止まっているので暖房、煮炊きに困っています。
腹をくくってこれは長期戦になると判断した我が家では、
(地震直後の夜は、やけくそで豪華?な鍋をつつき、
ビールを飲んで無事を喜んだものですが)、
原発のこともあり、三日目から石油ストーブはつけず、
家の中でも防寒具を着込んで過ごしております。
食事も一つの鍋に食材を入れてみんなでいっせいに
食べる、これも慣れてくると、結構いけるもんで
カセットボンベも消費しなくて済みます。
お蔭さまで地震直後に求めたカセットボンベ3本、
灯油(18リットルポリタンク)3個がまだあります。
それ以降、何が不足している、何をほしいなどとは
あまり思わなくなったことに気がつきます。
もしやと思い、コンビニが開いたときにカップめん
などを買い込みましたが、それもほとんど手つかずです。
(今日の昼、末っ子が何でもいいから肉が食べてえーと
騒ぐもんで「肉入り」?のカップめんを食べたのが初めて
でした。)
電気が来たのに肝心の米がなくなってきたことに気がついた夜、
塾生の親が親元の山形経由の米を差し入れに、
翌朝にはこれまた山形からわざわざ車でおいしい水20リットル
とともに鰊の昆布巻きを届けてくれた二期生、
手伝いに来ましたーと今春の卒業生(正確に言うとまだ「卒舎生を送る会」
が延期中なので中3生)や塾生の中学生、
といろいろ助けてもらっています。
ただ塾生、OBの手伝いは、ありがたいのですが、
今のところ余震(これが不気味、ストレスの原因)がおさまるではと
断っています。
ということで教室の本棚等はまだそのままです。
水道は昨日から使えるようになりましたが、
温水器の配管が地震のため故障、水が噴出す状態なのでお湯は、
ましてお風呂なんてまだまだ先のことです。
塾生の安否はまだ完全にはつかめていません。
というのは家がめちゃくちゃなのでと近くの祖父母や、
親の実家に「疎開」しているらしく家にいない家族が意外と多いのです。
また電話が通じているのはまだ塾付近でも約6,7割なので。
お見舞い電話について一言、
昨日、K社という教材出版会社が販売代理店に電話番号を聞いたのか
儀礼的なお見舞いのほかに教室の被害状況を聞いてきた。
はじめのうちはこちらも聞き流していたが、
あまりしつこくどこがどういうふうに壊れたのか尋ねてきたので、
ついに声を荒げてしまった。
「全く日頃つきあいがないあんたに何故そんなことまで応えなければ
ならないんだ、今どういう状況下か判断できない君の会社とは
もう付き合わない、実に不愉快だ、」と。
震災直後、携帯の電池容量が少ないときにかかってきた電話も同じ。
(以下にあげる「人」の中には支援塾の仲間は入っていませんので)
その人(今北)にとって自分の位置はどこにあるかわきまえない
「人」も多かった。当然ながらこの人に連絡できれば
みんなに連絡してくれるだろう、という方にはこちらから
とにかく連絡しようと思ったが、電話はなかなかつながらなかった。
(県外、圏外からの送信に対しては結構受信できるが被災地からは
全くといっていいほど出来ない、何回も挑戦していればそのうちに
かかると思いかけなおしているうちに電池がなくなる、
その繰り返しであった。)
震災直後から2日間は80パーセント規制だったとか。
20パーセントをかいくぐってかけてくる人の中に、十数年ぶりの人、
最近では年賀状のやり取りもしていない人が結構多かった。
メールだと返信は後でということですむが、電話が直接に鳴り出すと、
しかも相手が誰か不明の場合は、でないわけには行かない。
ましてや目上や義理のある人には大丈夫でしたというだけではすまない。
そういう人に限って、他の関係ない人(仙台在住でない人)の
消息まで話したがる。私は乾電池式携帯充電器を持っていたが、
2日間で単3電池を20本使った。(もちろん「子どもが翌朝まで
帰宅できなかったのでその居場所を見つけるまであらゆる方法を使って
安否を探った」私用のせいでもあるが)故郷の人が多かった。
それだけ私は故郷の人に音信不通だったのかな?とも。
その点、このネットの仲間には感謝している。連絡を寄こさない、
その事実の奥に見える遠慮、優しさ、感性、私たち被災地への思いが
伝わってきた。
久しぶりにPCを開けて皆さんのメールを見た時、それが
よく分かった。改めてお礼を申し上げます。
昨晩、というか夜明け方、石油ストーブ自主規制中の我が家での話。
いつもの夜中の余震(けたたましくなる携帯の緊急地震予報
もあわせて)で目が覚めた私、あまり寒いのでストーブに
火をつけて寝床で本を読んでいたら、見つかって、、
妻から朝食中にそのことで「非国民!」と。(おいおいそれは死語だろう)
家族中冷たい視線!はい、すみません
お願いがあります。
ストップしています支援塾の通信、およびHPの各欄に、
各塾のHPから転載させてもらうことをこのメールを通じてお願いします。
更なるお願い、
明日以降今日のようにうだうだ話を出来るか定かではありませんが、
皆さんの書き込みを楽しみにしていますので、なんでも軽く掲示板に
寄こしてください。何か出来ることはとよく質問がありますが、
物欲は余りありません。ほしいものを挙げても各地ともに似たり
寄ったりの状況ですからね。それよりも皆さんの話を聞かせて
もらうことが一番です。
お願いします。
こちらの学校は23日頃まで休みです。
子どもたちは暇をもてあましています。
早く塾を片付けてとは思っていますがなかなか始動できません。
私の愚痴より
明日こそ朗報をと思っています。
おつきあいをありがとう
3月17日
昨日の私の投稿文中、地震直後の、故郷から、
または教材会社からのお見舞い電話やメールに
不愉快であることを記した箇所を削除したい気分です。
皆さんの素直な気持ちを袖にする私は傲慢でした。
皆さんにもそれこそ不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。
「削除」を考えましたが(私は管理者として削除出来ますが)、、、
さて、
本日は、道路を挟んで自宅のまん前にある八百屋さんで
「呼び込み兼入場整理係」を担当、玲子は店内で案内係。
地震直後からずっと毎日開いている街の片隅に開く親切な八百屋さん。
その名は「庄子八百屋」(塾のHP「北剏舎日記」では庄司になっているが、
レイコの間違い、私が正しい。張り合ってどうする?)
店は3坪あるかないかの小さなやおやさん、
すぐ近くには(100メートル先)スーパー「西友」があるが、
店主夫婦、次男夫婦と子ども5人がこの商売で暮らしている。
特別変わったことがあるわけではない普通の八百屋さんだが、
何故だか、スーパー帰りのお客さんが必ずといっていいほど立ち寄る。
うあ!また余震!!
(今。17:30 空が怒っているかのような横殴りの吹雪が続く)
ふー、、、つづけましょう。
地震直後、そしてその翌日の毎朝9時ごろから
連日行列が出来る。特に宣伝したわけでもないのに
近くのコンビ二、スーパーは停電を理由に電気が通じるまでまる三日間、
店を閉じたままだったが、この店だけはよく品があるなと
不思議に思うぐらい開いていた(懐中電灯で)。
今朝一番に並び始めたのは8:30頃から、
先頭は80近くのご婦人、いかにも寒そう、
9時ごろには店の前に列が30人近く。
(開店時刻が予告されているわけでもない)
その婦人、いつの間にか店の裏辺りから見つけてきたのか
ダンボールを敷いている、
我が家の茶の間から見ていた玲子がいても立ってもいられず
カイロの差し入れ、私は塾に走り、2人がけの椅子を運び、
列に並ぶ人たちに提供、先頭の婦人と話しこんでいるところに
2回目の運搬(仕入れ?)から戻った八百屋さん一家が車を横付け(9:30)
荷おろしを手伝っているうちに自然な流れの中で
私は今日の品物の値札書きを担当、手伝うことに。
準備がようやく整い、開店は10時過ぎ
店内は常時5人まで。私が買い物籠を渡した人だけが入場。
一人会計を済ませて店外に出たら一人入店、フライングをする人は皆無、
たまに文句を言う人も、よく見たら塾を途中退塾させた親、
(あっ今日は悪口をやめるんだっけ)
だんだん調子に乗ってきた私は「ヘイいらっしゃい、!お待たせしました。ありがとうございました。」などと品のない口調で叫びながら、
「一人各1点(一種類)、10点まで」を後ろに並ぶ人達に聞こえるように。
時たま、「先生!久しぶりです。塾は?いつから?」と、
保護者や卒業生の声、「いやあー商売替えですよ、塾は開店休業ですから」、とそのうち軽口も出る始末
原発がおさまりますように
3月18日
佐藤多恵子さんが無事です!
たった今確認しました。
すぐ下まで水が来たそうですが、
家族全員無事で、今現在近所の人達の世話を焼いているそうな。
多恵子さんの実の妹さんの旦那の昔の勤め先「大館鳳鳴高校」(漢字?)から秋田県教委を動かしやっとたどり着きました。ご本人さんたち夫婦も心配で13日に無理やり規制をかいくぐって大船渡に到着したそうです。21世紀枠出場の大館鳳鳴高校の教頭先生に感謝!
なお、本人とはやはり今も電話がつながらないそうです。
直接の電話は控えてください。
北剏舎 − 今北正史(2011年03月20日)